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ほとり日記

2017年1月からの日記

「思わない」と「思えない」

2017年2月

寝汗をかいて起きた。

夫の弁当を詰めて、送り出したあと、風呂に湯をためながらサンドイッチを作る。今夜は実家に帰るので、弁当箱を持たずに済むようにサンドイッチにした。具は、粒マスタードローズマリーで焼いた鳥もも肉とじゃがいも、ゆで卵、キャベツ。パンにはマヨネーズをぬって軽くトーストした。サンドイッチだけだと満足感がないので、粉末のポタージュもつけておく。

台所に立ちながら、高橋源一郎のラジオを聞く。

まもなく1歳になる息子を育てているというリスナーの女性との電話のやりとり。女性の声、話し方から子育て中の愛情に満ちた弾むような感覚が伝わってきて、私は味わうことのない感覚なのだろうな、とじっと聞き入る。ならばその感覚を自分も味わいたいかと考えると、そういうわけでもない。子どもを産み育てれば味わうことになるであろう、その他のいろいろな苦労のイメージが先立ってしまって、子どもを産みたい育てたいと思えない、自分の意気地のなさを思い返す。

結婚する前は、結婚したら当然子どもが欲しくなるのだろうと思っていた。結婚してしばらくは、まだまだ仕事が半人前だし、とか、今は取り組むべきことがあるから、などと理由をつけて、まだ先だと思っていた。今思うと本気で考えてなかったな。

妊娠、出産、育児を先送りする理由がいよいよなくなってきて、ようやく、あれ、私は子ども欲しくないんじゃないか…と気づき始めた。いくら考えても自分が産みたいとも育てたいとも、本心から思えない。怖さもある。友人たちの子どもが続々と産まれ、会えば、「よく産まれてきたね」と声をかけたくなるような気持ちになるのだけれど、自分が母になりたいと思えず、母になったイメージもまったく持てないのだった。

ラジオのちょっとしたやりとりを聞いただけでこうしてぐずぐずと考えてしまうくらい、自分のこの消極的な選択に自信がもてていない。日々「今日もまだ子どもが欲しくなってないな」と確認することを繰り返しているうちに、ここまできてしまった。

「らしさ」とか「ふつう」を平然とふりかざす人をひどく嫌うくせして、出産・育児に関してはどういうわけかなかなか自由になれない。「子どもが欲しいと思わない自分」を、「子どもが欲しいと思えない自分」ととらえてしまうきもちがいまだにどこかで残っている。