ほとり日記

2017年1月からの日記

反芻してもあまりいいことはない

六時過ぎに目がさめる。土井善晴に手をつながれる、みたいなおかしな夢を見ていた。そういえば昨夜だったか、夫と話してて、何かの話題でものすごく意外なタイミングで土井善晴の名前が出てきたのだった。そのせいか、と午後になって思いあたった。七時半前に布団から出て夫の弁当を詰めて、送り出す。

お茶を淹れて、スリッパを洗濯機で洗う。今日は私は休みなので、昨日休みだった同僚に引継ぎの電話をする。昨日起きたいろいろなことを反芻する。

ぬか床にキャベツの芯を漬ける。今、うちのぬか床にはキャベツの芯しか漬かっていない。

朝食にする。玄米、ゆかり、ごま、豚肉とじゃがいもの炒め物、ほうれん草のナムル、ゆで卵。

新聞を読んで外出。「雨の日は会えない、晴れた日は君を思う」を観にいく。

映画館に着いた時点で既に眠く、前半かなりの時間をうつらうつらしてしまった。もうこの寝不足を解消するまでは映画館に行くべきではないと言い聞かせる。起きていた限りでは、次に何が起こるのかわからないストーリーで(寝たせいはあるがそれにしてもだ)、役者たちが真に迫るというのか、難しい役ばかりだと思うけどそれぞれの役が切実に感じられた。

スタバに入る。とても混んでいる。ドリップコーヒーとシュガードーナツを頼む。朝の引継ぎの電話のせいもあるのだろうけれど、昨日のいろいろなことが頭から追い出せず、手帳に書きつける。整理をつけたい。

もってきた『家族最後の日』の続きを一気に読み終える。序盤、次々と見舞客を受け入れることが印象深い。まだがんだとわかってない時点で、本格的な治療が始まる前だからというのもあるだろうし、仕事柄もあるのだろうけど、オープンな人間関係を築いているのだな。

私が入院するときに、夫と見舞いのことを話した。私はもともと来てほしい人にしか来てほしくなくて、今回については、夫以外には来てほしいと思う人がいなかった。夫だけに来てほしい、ということではなく、病気の種類、進行度から考えて、他の家族も含めて誰かに来てもらう必要を感じなかったし、受け入れる余裕もなかった、ということなのだけれど。

対して夫は、もし自分が同じ状況になったら、見舞いに来てもらっても別にいい、と言っていた。私よりも屈託なく人付き合いができる彼らしいと思ったのだった。

医師からがんの告知を受ける場面の、突如「進行癌」の文字を目にするところの、あっ、と思う感じがリアルだった。周囲の人の反応を吟味してしまう感じもよくわかる。

夕方、みてみたかった雑貨屋に寄る。

一駅前で降りて、野菜や肉などを買って歩いて帰る。

今日も寒かった。週末に買ったシャツワンピースでも着て気分を変えたかったけど、寒すぎた。あたたかい春が待ち遠しくて、スニーカーがほしい気分が高まっている。