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ほとり日記

2017年1月からの日記

自分の死に顔は見ることがない

今日もひどいだるさで起きられない。連休で活動的に過ごしていたのが今になって堪えているのだろうか。

予定していた時間を大幅に過ぎてから起きて出発。ツバメの巣から親鳥が出かけるところに出くわす。

出社前に、仕事で関わりのあった方の遺体の安置されている葬儀社に焼香をしにいく。電車とバスを乗り継いで1時間半。現地の駅の建物の中にツバメの巣があり、3、4羽の親鳥たちがせわしなく飛び交っていた。

葬儀社の受付に行くと、遺体が安置された別の小さな建物に案内される。年季の入った建物で、小さな祭壇のあるスペースに、一体ずつ安置できる小部屋が二部屋連なっている。小部屋に入って線香をあげて、一旦小部屋を出る。職員が棺を少し手前にずらして顔のあたりだけ見えるようにしてくれて、再び小部屋に入って短い時間お別れをした。

すっきりとしたきれいな顔だった。知人や友人、何人かの遺体と対面したことを思うと、いつもそう感じてきた。生きているとそれだけ顔の筋肉に力が入っているということなのだろうか。

私が死んだときも、徐々に深くなりつつある眉間のしわや、存在感を主張し始めてきたほうれい線や、笑った時に非対称にあがる口元も、いろいろなものから解放されてすっきりと見えるのかな。そう思うと救われる気持ちになる。

出社。会議のあと仕事をする。疲れてなかなか集中できないうえに、明日の月一のイベントの準備が何もできていない。お菓子ばかり食べて、無駄なカロリーばかり摂取する。

一つ一つ片付けて、明日までにやるべきことはすべて終える。

家の近くで知人と飲んでいる夫と合流して帰る。